「私は、絶対にこうすべきだ。」
「あなたは、こんなことすべきじゃない。」
「~すべき」という表現は、自分だけでなく他人まで縛り付けてしまいます。
「べき思考」の緩め方は、過去の記事でご紹介しました。
今回は、「べき思考」について少し尺度を変えて振り返りつつ、これらを緩めるための名言を紹介します。
不合理な「すべき」宣言は、怒りと罪悪感を生み出します。確かに怒りを感じていると、私たちは「すべき」を望む方向で考えがちです。私たちが罪悪感を抱いていると、自分に向けた怒りとして「すべき」だと考えがちです。
「すべき」という言葉は、ルール、要求、命令の意味で使われます。「すべき」はたいてい絶対的なルールを表し、それを破っては大変だと考えられています。
(リワーク配布資料より抜粋)
わかりやすく言えば自分にも他人にも厳しい人ですね。
「すべき」ことが出来ない他人に対して怒りをぶちまける。
「すべき」ことが出来ない自分に罪悪感を感じる。
このようなタイプには、いろいろな場面で遭遇しますが、特に職場に多く見られます。
長年一つの仕事を経験してきた職人肌のベテラン社員には、このようなタイプが多いというのが私の経験則です。
当事者からすれば、「すべき」宣言のおかげで高い品質が保たれ、仕事が回っているという自負心があるのかもしれません。
しかし、過ぎたるは及ばざるがごとしです。
この考え方が行き過ぎてしまうと、自分も他人も息苦しさを感じてしまい、結局は職場全体のパフォーマンスが低下します。
「すべき」宣言の束縛から解放されるための助言として、リワーク先の心理士さんから、「ニーバーの祈り」というものを教えてもらいました。
この言葉は、D・カーネギーの著書「道は開ける」をはじめとして、様々な自己啓発書で引用されています。
神よ、変えることのできないものを
静穏に受け入れる力を与えてください。
変えるべきものを変える勇気を、
そして、変えられないものと変えるべきものを
区別する賢さを与えて下さい。
私は、頭の中が「すべき」に支配され、怒りや罪悪感が湧いてきた時には、この言葉を思い出すようにしています。
特に前半の、「変えることのできないものを静穏に受け入れる」という部分を意識するようになってから、とても人生が楽になりました。
先人の残した知恵は、複雑さを増した現代社会にも通用するものであると日々実感しています。
以上
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<まとめ>