近頃は、キンモクセイなどの花が咲き、すっかり秋らしくなりました。
この季節になると、会社を休職したときのことを思い出します。
私が会社を休職したのは、2年前の今頃でした。
主治医の先生から「もう休みましょうよ。」と言われました。
当時、私の病気は悪化の一途を辿っており、ついに希死念慮のような症状が出始めていたのです。
睡眠障害、腹痛などの身体症状が酷く、まともに仕事ができない状態になっても、私は決まった時間に起きて、決まった時間に会社に行くことができていました。
自分の意思というより、頑張らないといけないという強迫観念に縛られて、見えない力に動かされていました。
まるで、乗りたくもないジェットコースターに無理やり乗せられ、ベルトで固定されて身動きが取れない状態で、何周も回っているような気分でした。
このように、心は既に壊れていても、体は勝手に動き続けていました。
心がアラームを発信しているのに、体がまったく止まらないのです。
まるで、体が誤作動を起こしているような感覚でした。
これを止めるためには、強制終了しかないと思い始めました。
希死念慮は、このようにして生まれました。
先に結論を言いますと、自殺未遂はしていません。
タイミングよく主治医の先生に相談できたことが幸いでした。
一番危ないのは、通勤中でした。
自宅から駅までの道は、交通量が多く、通勤時間帯には多くの車が通ります。
そのうちの一台に飛び込めば、重傷を負って、しばらく会社に行かないで済む。
そんなことばかり考えながら、ふらふらと歩いていました。
しかし、ドライバーにかなりの迷惑をかけるので、実行には至りませんでした。
手元に大量の薬があるときは、危険です。
うつ病歴が長くなってくると、ネットでいろいろと調べるので、OD(オーバードース)という言葉も知るようになります。
処方された以上の量を勝手に飲んでしまうことは多々ありましたが、一度に大量に飲んだらどうなるのかと次第に考えるようになりました。
しかし、夫・父親が薬を大量に摂取して家で倒れていたら、家族に相当なショックを与えてしまうだろうと思い、この手段を実行することはありませんでした。
ドライバーに迷惑かけたくない、家族に迷惑かけたくない、そんな想いで自傷行為は踏みとどまっていましたが、病気は悪化する一方でした。
主治医に休職を通告される日は、突然やってきました。
その日の記憶は、途中まで曖昧です。
ふと気が付くと、駅のコンビニの文房具コーナーでカッターナイフを探していました。
そのコンビニには、カッターナイフが売っていませんでした。
そこで我に返りました。
自分は、何をしようとしていたのか。
駅のトイレの個室なら、家族に見られないで済むし、床から血が流れるので駅員さんに発見してもらえる。
たぶん、こんなことを考えていたような気がします。
また、駅という公共の場であれば、早く発見されるので助かるだろうという考えも同時に持っていました。
我に返れたのは、「生きたい」と願う気持ちが強く残っていたからです。
「生きたい」と「死にたい」が、せめぎ合って、幸いなことに「生きたい」が勝ってくれました。
主治医の先生からドクターストップをかけられたのは、この後の診察でした。
以前から休職を視野に入れてもいいと言われていましたが、ここまで追い詰められたら完全に赤信号だったようです。
私は、生きることの喜びを知っています。
この世には多くの未練が残っています。
そのおかげで、結果的には、大それたことをしないで済んだのだと思います。
そもそも、私の場合は、体を強制的に止めるための自傷願望でしたから、診断書に「希死念慮」と書かれるまで、自覚すらありませんでした。
後で冷静に考えて怖くなりましたが、「死なない程度に」なんて都合良くできる保証は、どこにもありませんでした。
本当に死のうなんて思ってないから、自分は正常だと思い込んでいましたが、医師から見たら、「希死念慮」の症状以外の何物でもなかったようです。
実際に、リストカットで加減を誤って、そのまま帰らぬ人となるケースもあるらしいです。
「生きたい」と「死にたい」は、表裏一体の気持ちです。
そのことが、自分の身をもって、痛感できました。
家族のために、私はこれからも細々と生き続けていくと思います。
以上