秋と言えば、食欲の秋。
旬の食材をついつい食べ過ぎてしまう危険な季節です。
今回は、13番目の思考エラーです。
食欲の秋にちなんで、食べ物の話を交えながら解説します。
テーマは、「我慢できない」です。
我慢できない。これは、「必要と願望の混同」の延長線上にあるもので、ある状況を我慢できる自分の能力を過小評価する考えです。重症の「我慢できない」は、その状況の「あるがまま」とは違う状況が必要だという信念を持っていることを意味します。ある状況や条件を我慢できないととらえてしまうと、まるで「我慢できない」という態度をとらなければ死んでしまうかのように、その状況や条件を避けがちになります。それとは反対に、その状況に対して対処できる、我慢できる能力が自分には備わっていると信じれば、その状況に立ち向かうことを恐れなくなります。
もしあなたの懸念があなたを本当に殺してしまうものでないなら、「私はそれに我慢できない」を「私はそれが好きではない。だから、それに対して何か働きかけをしてみよう」と言いかえてみてください。
(リワーク配布資料より抜粋)
「我慢できない」という思考エラーは、以前の記事で解説した「必要と願望の混同」の延長線上にあります。
わかりやすく言えば、こんなセリフには、思考エラーが潜んでいます。
「私は、〇〇がないとダメな人なんだよね。」
「〇〇」の部分には、こだわりの一品が当てはまります。
お気に入りの枕だったり、毎朝食べているパンの商品名だったり、人によっていろいろあると思います。
引用文の中では、お気に入りの〇〇が無いと自分は死んでしまうかのように、我慢する能力を過小評価してしまうことが思考エラーだと言っています。
お気に入りの〇〇が無くなるという懸念は、本当にあなたを殺してしまうものでしょうか?
例えば、朝食には必ず食パンを食べているのに、帰り道に寄ったスーパーで品切れになっていたとして、それは生命の危機を意味するでしょうか?
「自分は〇〇が無いとダメな人間だ」というセリフで自分は我慢ができないと決めつけることで、「〇〇が無いと死んでしまう」と言わんばかりに過剰反応してしまうのです。
この言葉は、世界史の逸話でマリー・アントワネットの発言として知られていますね。
当時はこの発言が庶民の反感を買ったという説がありますが、飽食の時代となった現代においては、冗談抜きに、パンが無ければケーキを食べればいいのです。
「我慢できない」と感じたら、本当にそれが必要なのか?無ければ命が危ないのか?と自問自答してみましょう。
(「必要と願望の混同」の復習です。)
生命の維持という観点で考えれば、大抵のものは本当に必要なものではなく、ただ欲しいと願っているだけのものです。
本当に必要なものでなければ、似たようなもので代用することを考えた方が建設的です。
パンが売り切れていたら、シリアルやケーキを買って帰ればいいのです。
これを機会に、朝食を米に切り替えてもいいですよね。
必要ないものまで必要だと思い込んで、それが無い状況に我慢ができずにいると、精神的にも、経済的にも窮屈な生活を強いられます。
Aが無ければB。
Bが無ければC。
CよりDが安くなったので、Dに切り替える。
一周回ってAの良さを再評価した。DからAに戻る。
「我慢できない」に縛られなければ、このように柔軟な選択ができます。
今回のテーマは、うつ病的な思考の偏りを直すだけでなく、日常生活にも良い効果が期待できますので、是非、活用してみてください。
以上
前:【思考エラー12】うつ病の原因は、「選択と強制の混同」なのか?
<まとめ>