給食の時間に、一切の私語を禁止する「黙食」という指導が物議をかもしていますね。
「黙食」は氷山の一角に過ぎず、学校には、多くの謎ルールが存在しています。
この不可解な学校教育こそが、日本衰退の原因となっていることは明らかです。
シャーペン禁止。HBの鉛筆禁止。
1年生は、白色以外のスニーカー禁止。
学校では、いろいろな規則で子どもを縛っていますが、「なぜ」その規則が存在するのかを説明されることは滅多にありません。
もしかしたら、昔からのしきたりなので、教職員側も規則が出来た背景を知らないかもしれません。
それでも、「規則だから」という理由だけで、盲目的に従うことが当たり前になっています。
私が学生だった時代は、肝心の学業すら、「なぜ」の部分は深く解説されず、「公式や文法で決まっているから」という投げやりな教え方をする教員が多かったです。
これでは、勉強嫌いになる生徒が大量発生しても仕方ありません。
教師も生徒も思考停止状態で、とにかく決められたルールを守って生活し、指導要領で定められた教科を丸暗記するのが学校教育の現状ではないでしょうか。
これが、先進国の学校教育と言えるでしょうか。
突然ですが、「心理的安全性」という言葉をご存知でしょうか。
生産性を向上させるために必要な要素の一つとして、グーグル社の研究チームが提唱し話題となりました。
心理的安全性とは、チームメンバーが自分自身をさらけ出し、自由に発言したり、過度に周囲に遠慮をすることなく発言・行動できる状態や雰囲気を意味します。
もし、「先生、なぜ学校にシャーペンを持ってきてはダメなんですか?」と勇気を出して聞いてみた生徒が、「規則だからに決まってるだろ!」と一喝されるようなことがあったら、その生徒に心理的安全性は育まれるでしょうか?
心理的安全性の極めて低い学校教育を受けてきた子どもたちが、大人になったらいきなりグーグル社員のように自由闊達なディスカッションができるかと言えば、かなり難しいですよね。
私自身、日本の老舗企業に身を置いてますが、安心して自分をさらけ出せる雰囲気なんて感じたことがありません。
学生時代は、
「『なぜ』なんて余計なことは考えるな。」
「規則には盲目的に従え。」
「上の学年がやってきたことは、何も考えず踏襲しろ。」
と言わんばかりの不自由な生活を強いられてきた子どもが、
大人になった途端、
「柔軟な発想でイノベーションを起こしてね。よろしく頼むよ!」
なんて言われても、途方に暮れてしまいます。
できることといったら、他社の模倣やコストカットくらいです。
真似ることと数字を作ることは、学校教育で学んできた得意分野ですから。
なんとなく、成長が鈍化している老舗大企業の姿が見えてきませんか?
冒頭で引用した記事には、現場でもがき苦しみながらも精一杯頑張る先生たちの悲哀についても言及されていました。
教職員もまた、歪んだ学校教育の被害者なのです。
学校教育を全否定するつもりはありませんが、いい加減、変わらないといけない時期が来ています。
長い年月をかけて醸成された風土は、一朝一夕では変わらないかもしれませんが、次世代のためにも、少しずつ改善していって欲しいものです。
私も、子どもを育てる一人の親として、責任を果たしていきたいです。
以上